雨音がきこえる #7


「あ…鍵…」

オンナじゃあるまいし、合鍵なんてものは持っている筈もなく、オートロックになっているこの敷地内に入ることが不可能なことに気づく。

つくづくバカかよ、と思う。

冷静に考えれば分かりそうなものを。

…アタマまで弱ってきてんのか。

思考能力の低下に呆れて言葉も出ない。

「つめて…ぇ」

濡れた髪をかき上げ植え込みのタイルに座り込んだ。

どこに腰を下ろそうが、どうせ全身濡れている。

・・・ホントどうかしてる。

ここに来たところで会えるわけでもねぇのに。

しばらくして、人の気配がした。

傘の雨滴を振り払い、ここの住人がチラリとオレを見てエントランスに入っていった。

ついて入れば良かったのかもしれないが、この濡れたナリでは不審者同然だし、何より身体が重く言うことを聞かなかった。

「はっ…。完全に堕ちちまってんな…このオレが…」

人を想うことなど、今までなかったから。

自分の感情をどう扱っていいのか分からない。

(あぁ…マジで動かねぇ。自分の身体なのに…)

目の前が眩しく光り、タクシーのヘッドライトに瞳を細めた。

少し先でタクシーは止まり、地面に溜まった雨が飛沫を上げた。

後部座席のドアが開くのと同時に、傘もなく水たまりすら構わずに走ってくる人影があった。

「跡部っ!?」

オレはその姿をよく知っていた。

「自分何してんねん!!」

(…名、前…呼ばれんの、久しぶりだな…)

力いっぱい掴まれた肩さえ懐かしく。

声を聞いた途端、気力でなんとか支えていた身体が前に崩れた。

「お…し、たり…?」

「何、自分ずぶ濡れやし、めっちゃ熱いやん…!」

崩れた身体は忍足の肩に受け止められていた。

「何やよう分からんけど…とりあえずウチ入り!身体拭かんと」

その身体も、声も…、間違いなく忍足だ…。

聞きたいことは山程ある。

でも今は。

その温もりを感じて目を閉じた。




「景ちゃん、目ぇ覚めた?」

目を開けると広い天井がオレを見下ろしていた。

外はまだ雨が降り続き、ガラス窓に雨粒を叩き付けている。

「…あぁ」

突然マンションの前にいて、しかも倒れて…。

顔がマトモに見れなくて視線を逸らす。

忍足は軽く息を吐いた。

「ホンマ、もーびっくりするわ。なんや景ちゃんボロボロちゃう?どないしたん…。こないな景ちゃん見るん初めてやわ」

身長はオレと3cmしか変わんねぇのに、優しく髪を触る手は大きい。

「テメェこそ…。なんで今ここにいんだよ…」

予定は1ヵ月。

まだ早い。

・・・それに。

「何だよ…そのカッコ」

「似合とるやろ」

眼鏡の奥の瞳が笑う。

───黒いスーツにワイシャツ姿、いわゆる礼装と呼ばれる服装だ。

「さすがに恥ずかしいからネクタイとか外して帰ってきたけどな」

用意されてたのが派手な赤やねん、と忍足は思い出して笑った。

帰って来た時から今までの時間、服装が変わっていないと言う事はオレの目が覚めるまでここでずっとついていたのか…。

「もうなぁ、途中で抜けて帰って来たった。…早く景ちゃんに会いたくて」

髪に触れていた手を頬へと滑らせ、両手で包み込んだ。

「まだまだあっついなぁ…。あ、服はオレのに着替えさせといたで」

やっと身体を堅苦しさから解放するかの様に、上着をベッドの脇に脱ぎ捨てた。

「…さっき抱きかかえた時に思ったけど、景ちゃん痩せたやろ。なんで?オレのおらん間に学校で何かあったん?」

「なんもねぇ…」

理由なんて。

言えるわけない。

「何もない、て…、全然そんな感じちゃうし。オレには言えんの」

覗き込むその張本人に逸らしていた視線を合わせた。

「…連絡…」

「え?」

「…な…んでっ。なんでっ、連絡よこさねぇんだよっ。…岳人にはしたくせに」

そしてまた視線を外し枕に顔を埋めた。

忍足の匂いが鼻を掠め、胸が きゅっ と音を立てた。

「ちょっ、ちょお…景ちゃん??」

目を閉じて今ここにある状況に、らしくもなく少し幸せを感じながら。

「言い訳ぐらい聞いてやる」

「…や、あの、連絡は…、ホンマにゴメン。オレな今回京都行っててな…」

「岳人から聞いた」

事の経緯はある程度知っている。

「そんな説明はいらねぇから、オレが納得できるように話やがれ」

「…京都のばぁちゃんがアナログ人間でな。携帯もせやし、電子レンジとかビデオとかも嫌いでな…使うとめちゃ怒んねん。玄関で即没収や」

携帯がないと電話番号も覚えてねぇのか。

一体何度オレに電話掛けてると思ってんだ。

番号くらい暗記しろよ…。

「それで…コレ…」

枕から顔を上げると目の前に細長く黒いコードがぶら下がっている。

携帯の充電器。

「忘れて出てん」

「バーカ」

いくら使用してない携帯電話でも、電源がついたままで数週間経ってたらアウトだ。

「やから帰りの新幹線とかもメールでけへんかって…。まぁ帰ってきたらそこに景ちゃんがおった訳やねんけど。ほんで!ガックンにも連絡はしてないで?」

「………」

確かに岳人は連絡があったと言っていた。

「ガックン、負けず嫌いやからなぁ。景ちゃんとこにだけ連絡しとったら悔しいから強がり言うたんかも」

そういえば、そんな態度だった気がする。

アイツ、ぜってー校庭40周走らせてやる。

「ガックンにも謝っとかなアカンなぁ」

「…ホントに抜けてきて良かったのかよ」

礼装ってことは少なくとも、それなりな会合が行われていたはずだ。

何か大事なことがあったんじゃないか。

「オレまだ14やし、先の話は分からんから…。なんや茶道の家元を勝手に継がすつもりやったみたいやで」

まるでひと事のように。

それってかなり重要な集まりだったんじゃないのか。

「オレには今もっと大切なことあるし、将来に縛られたない。…まだテニスしたいし」

壁にもたれ掛けさせていたテニスバッグを指差した。

「ここ発つ前に‘サボんな’て言うから、ちゃんと向こうに持って行ったんやで」

「テメェは鳳かよ」

鳳の宍戸絶対服従は名物だ。

そう思うとおかしくなって笑ってしまった。

「景ちゃん」

さっきまでとは違う押さえた声音で忍足がオレを呼んだ。

「もうホンマに景ちゃん切れやねん…」

そう言うとまた髪に触れた。

一瞬で空気が変わる。

胸がまた音を立て、全身に痺れが走った。

「景ちゃんがしんどいから、かなりガマンしてるんやけど…」

触れていた手が首筋をそっと撫でる。

「限界。抱きしめて…ええ?」

「聞くな、…バカ…」

忍足は静かにオレを引き寄せた。

部屋には雨音だけが聞こえていた。

             *小説編は終了*漫画編にてラストです

☆続きは「裏部屋」に参ります;
 そちらでは漫画で描く予定です。
 苦手でなければ、「裏部屋」でお会いしましょう♪
 アップできたら、TOP更新情報にてお知らせします。